社是
MATRIXにおいて、どのような行動を「是」とし、どのような行動を「非」とするか、についての価値観についての説明です。
チャレンジ史上主義
~最速、最熱、最短~
9999回のうまくいかない方法を発見しただけだ
電球を発明したエジソンは1万回の試作を重ねました。
「9999回の失敗をどうやって乗り越えたんですか?」と質問をされた時、エジソンは
「私は一度も失敗していない。9999回のうまくいかない方法を発見しただけだ」と答えました。
この言葉はエジソンだけの特殊な事情ではありません。どんな世界でもどんな事にでもあてはまる成功と失敗との関係を表しています。
“千三つ”という言葉もあります。何かチャレンジしたとき、うまくゆくのは千に三つぐらいしかないという意味です。
スタートアップ投資の世界でも、VCが出資したほとんどの会社はうまくいきません。ごく一部の会社が大成功したらトータルで成功となるというしくみです。
つまり、何かを成し遂げようとチャレンジする時には、うまくいかない例があるのは当然の前提としてトライ&エラーを繰りかえすことになります。
個別の施策の失敗は、悪いことではなく、成功に辿り着くために必要な正しいステップなのです。
MATRIXにおいては、成功に辿り着くために必要なステップとして果敢にチャレンジすることを「是」とします。それを正しい行動として奨励し、評価します。
「非」として誡めるのは、それらのチャレンジを阻む言動です。チャレンジに対して、
「ダメだ。やっても無駄。リスクを冒してはならない」と、むやみにマイナス面だけを批判して、ネガティブな決めつけで阻止しようとする行為です。
このようなスタンスは「失敗を避ける」ことが美徳であり「失敗を冒さない」ことが理想という発想から来ます。冒頭の「失敗は、悪いことではなく、成功に辿り着くために必要な正しいステップ」という前提に真っ向から反するものです。何もしないのが一番良いという「減点主義」「事なかれ主義」「反進歩主義」にもつながっています。
「××××××という理由で、できない可能性が高い」というのは日本では頭が良さげに見られる傾向がありますが、それでチャレンジしなくなるのであれば、価値はありません。
特に日本では支配的な考え方です。当社においてはこれらの行為については「非」として強く誡めます。
重要なのはチャレンジすること。どうやってチャレンジするか?です。
「できる、できない」を語るのは外野の観客や評論家たちです。
「サッカーの日本代表はオランダに勝つか負けるか」という類の話がよくされますが
それはみな外野の人々です。
代表チームの監督、プレイヤーたちは、勝つか負けるかなんて他人事の賭けはしません。
「どうやって勝つか?」、その一点のみを考えます。
会社も同じです。
傍観者のように「できるかできないか」の評論をする人は不要です。
やるべきか、やるべきでないか?
やるべきなら、どうやってやるか?
その2点のみが重要なのです。
「チャレンジ史上主義」とは以上のような考え方です。
最速!最熱!最短!
「チャレンジ史上主義」をさらに具体的な指針として分解すると、「最速、最熱、最短」になります。
最速=スピード
最熱=情熱
です。
スピードと情熱はベンチャーの唯一の武器です。
世界で歴史上、超大企業が新興企業に必ず世代交代するのはこれが理由です。
スタートアップは、ブランド力、知名度、資本力、人材力、技術力、組織力、販売力、コネクション、何をとっても巨大企業に勝てる要素はありません。
新技術による産業のパラダイムシフトの瞬間に、スピードと情熱を持ってその時の大企業を凌駕するから世代交代が起こります。(いわゆる「イノベーションのジレンマ」)
逆にいえば、スピードと情熱のないスタートアップはとりえがなく成功する可能性はありません。
だけど、スピードと情熱だけだと、「竹槍で飛行機を落とす」的な生産性を無視した無理な根性論になります。そこで必要なのは、最も効率的に最短で目的に達する方法を選ぶ知恵です。
昔一世を風靡したドラゴンクエストには「ルーラ」という呪文がありました。ルーラとは場所を一瞬で移動できる呪文のことです。瞬間で移動できるルーラを使わずにてくてく歩くと、ものすごい時間がかかる。すぐにできることを数時間かけても何日かけても、どれだけ一生懸命やっていても、結果として意味はありません。
これを日本では「がんばっている」と呼びます。しかし本人は消耗し、会社はムダ費用を使い、顧客は待たされる。誰にとっても罪でしかない。
がんばる前に、本当にその仕事は必要なのか?本当にその方法は早いのか?を考えねばなりません。
成功に辿り着くために必要なステップとしての果敢なチャレンジはやらねばならないし、仮にうまくいかなかったとしても無駄ではありません。一方で、チャレンジ以外のところでは無駄に消耗するのは「非」として誡めます。合理的で最短の方法を指向することを「是」として奨励します。